めんどうになり

わたしは、好き嫌いが激しい。
といっても、人並み、あるいは、標準以下で、世の中にはもっと激しい人も多くいて、さほど激しくないのかも。
2歳の幼児でも好き嫌いは激しいわけで、人それぞれ、各人、好き嫌いは強いだろう。
好き嫌いがないということは、自分の好みや考えや感性が、無いに等しいと感じる。

と、前置きは、長い。いつものごとく。

好きだと思えば、まっしぐら。
老若男女によらす。
ここ最近は、人付き合いをあまりしていないので、ネットで、皆さんのブログを散歩している。
(ひきこもりは、していません)
とうぜん、コメントはつけない。
わたしは、コミュニケーションを求めていないからだ。

「楽しそうですね」
「頑張りましたね」
「わあ、可愛い!!」
「ステキ向日葵纖體美容!!」

なんていうコメントをつけたところで、べつに、どうでもいいのだ。
それより、徹底的に読む側にまわる向日葵纖體美容
「素人ブログ」を論評する「素人評論家」というものが、仮にあれば、それ、それです、わたし。

ブログには、ブロガーさんの個性、人間性が垣間見える。
もちろん、ブロガーさんのフィルターを通しているし、ブログは、ブロガーさんの全てではない。
逆のことを書いている人もいるかも知れない向日葵纖體美容投訴
嘘八百だったとしても、小説だと思って読めばよい。

小説ではないので、ブロガーさんも筋、ストーリーを綿密にしっかり考えたあとに、長作に挑んでいない。
だから、日常のちょっとした文章で、意外な本人の側面が見える。

長く読み続けても、ブランクがあったりする。
またブログ訪問を再開すると、相変わらずだったり、ちょっと変化していたりする。
自分自身も変化しているので、微妙な味わいになる。

どの人も、癖がある。
良い面も、嫌いな面もある。
それは、リアルな人間関係と同じ。
嫌いな面が好きな面を上回ると、疎遠になる。
ほんの少しでも、許せないほど嫌いな面を発見すると、耐えられないが、
逆に、少々おかしなことを言っておられても、好きな面のほうが上回ると、嫌にならない。

ブログの場合、嫌になるのは、やはり個性の強い人。
知り始めはエキサィテングだが、キツ過ぎたりして、突然、グサッと斬りつけられて倒れることがある。
刃物が入っていないかどうか、恐る恐る、そおっと読まなければいけないので、めんどうになり、
遠ざかる傾向にある。
攻撃的で、性格や考え方が合わない人は、ブログが面白くてもNG。
ちょい読み、つまみ読みが、いいとこ取りで、楽でいいかも。
なかなか良いことをおっしゃっているブログは、ふむふむと感心して読んでいる。


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