
「そう、今日はそういう夢を見たのね」
ビデオの画面の外からそういう母の声が聞こえてくる。
「じゃあ、智子、ママといっしょにいって、もう少しお昼寝しましょう。そしたら頭痛いのも治るからね」
六歳の智子は椅子からずり降り、近づいてきた母の
韓國 午餐肉ほうに手をさしのべて、だっこしてもらう。画面に近づいてきたとき、その小さな顔がひどく青白く、こめかみのあたりで血管がぴくぴく脈うっている様子を見てとることができた。
チェックのスカートに、デニムのエプロンをかけた母が身をかがめ、智子を抱きあげる。残念ながら、顔は見えない。ふたりが画面の外に出てしまうと、父の手のなかのビデオは、空っぽの椅子を離れて移勤し、傍らのテーブルの上を映す。そのテーブルは、今でもこの家で使われているものだ。かわっているのは、上にかけられているビニールクロスだけ。
父のビデオカメラは、テーブルの上にたたんでおかれている新聞のほうへ寄ってゆく。朝日新聞。うちはずっと、この新聞しかとったことがなかった。
朝刊だ。父のカメラは、一面の見出しや写真には近づかず、ぐっとアップ
韓國 午餐肉にして枠外に印刷されている発行年月日を映し出す。
「1978年(昭和53年)9月20日」
そこで、映像が切れた。智子は急いでテープを巻戻し、もう一度新聞の日付を確かめた。間違いない。一九七八年だ。
ということは、このビデオのなかの智子は六歳ではなく五歳だということになる。
ビデオを取り出して、ラベルを確認する。ここには、「1979、4~」と書いてある。撮影日から、半年以上ずれた目付だ。撮影日をはっきりさせるためにわざわざ新聞を撮っているのに、どうしてまたラベルには、半年もずれた、なんの関係もない日付を書いておいたのだろう?
いや、それだけじゃない。頭が痛いと泣く五歳の子供をビデオ
韓國 午餐肉の前に座らせて、今さっき見た夢の内容を話せという。話せば頭が痛いのもなくなるからね、などとなだめながら。そしてそれを記録にとる──そのこと自体が変だ。普通の親だったら、絶対にやりそうにないことではないか。
智子はビデオの箱のほうへとって返し、両手にけのVHSのテープを持って、テレビの前に戻った。ラベルを確かめ、日付のついたものを選び出してデッキに入れた。
今度もまた、智子は台所の椅子に座っている。手編みの白いセーターに、膝のところに可愛いアップリケのついたズボンをはいている。髪はショートカット。額のところで前髪がまっすぐ切り揃えられている。
最初のビデオのときよりも幼い顔だ。まだ三歳ぐらいかもしれない。
「トモちゃん、こっち見てね」と、母の声が聞こえる。どうやら、今度は母がビデオカメラを持ち、智子に声をかけながら撮影もしているらしい。
ビデオのなかの智子の顔は、まるでろうのように白い。目のまわりには、了供らしくな
dermesい青黒いくまができている。しきりに右手の親指をしゃぶりながら、落ち着きなくまばたきを繰り返している。
「トモちゃん、すぐ済むからね。ママにお話してくれる? ゆうベ、ねんねしたときどんな夢みたの?」
このパターンは前と同じだ。具合の悪そうな智子。それをなだめ慰めながら「お話して」という母。
「クサイクサイの」と、智子が言う。
「臭い匂いがするの?」
「まっくらなの。それでね、どーんて、大きな音がするの。トモちゃん怖くて泣いちゃったの。わあーって、いっぱい泣いてる人がいるの」
母の手が揺れ、ビデオの画面がぶれた。
「そう。怖い夢だったねえ。その真っ暗なところ、どういうところだったか覚えてる?」
心なしか、前回の「ドラえもん」のときより、母の声が真剣な響きを帯びているように聞こえる。気のせいだろうか?
「まっくらなの」
「ずっと真っ暗なの?」