ジャズのスタンダード曲と呼ばれているものには、
たいてい
ECG心電圖、
歌そのものであるchorus(コーラス)の部分と、
語るように歌う verse(ヴァース)の部分がある。
ヴァースは、自然に曲の雰囲気に入っていくための「語りかけ」とも言える部分。
ノー・リズムから始まり、さりげなくテンポをつけていく。
オブリガードをつけたりしながら
雪纖瘦、
イン・テンポの歌本体に繋(つな)がっていく「前振り」の部分となる。
このヴァースの部分こそ歌い手の独特の個性が出るところ。
これこそ聴衆を惹き付ける部分でもある。
残念なことに、最近は、このヴァースを聴くことが少なくなってきたような気がする。
ジャズに限らず、もともと歌というものは、
"物語を聴かせる"ことと"曲を聴かせる"という、二面性を持っている。
ジャズのスタンダード曲も、"物語を聴かせる"意味合いが強かった。
そして、次第に"曲を聴かせる"方向へと進んでいったように思う。
目を日本に転じてみると、
琵琶法師などは、"物語を聴かせる"という典型。
『平家物語』などをセツセツと語るように歌う形をとる。
琵琶法師などは見ることはないが、昔に見かけた浪曲などもその形を踏襲(とうしゅう)している。
だけども、近ごろ『浪曲』というものを聞かなくなった。
義理人情話や情愛話などの"物語"を語ったり唸(うな)ったりするものだった。
寄席芸の一種。
演台を前にして立ち、三味線弾きを従えて、
コブシなど独特のフシまわしで曲を唸ったりしていた。
この浪曲。
考え方によれば、ヴァースとコーラスが交互に現れる形で出来ているとも言える。
拡大解釈をすれば、シャンソンなんかもその仲間であり、
韓国のパンソリなんかもこの形。
今やこの形の歌は、衰退しつつあるようだ。
もうすっかり昔になってしまったが、浪曲で思い出すのは、
80歳を過ぎて突然売れはじめた懐かしの浪曲師『広沢瓢右衛門(ヒロサワ ヒョウエモン)』さん。
彼は「ケレン」と呼ばれるお笑い浪曲師だった。
そのお笑い芸を見て、小沢昭一さんが予言的に語った所によると、
「いつか浪曲が復活するとすれば、この手のケレン(お笑い)の浪曲だろう」と。
そう言えば、ジャズにしろシャンソンにしろ、
ヴァースで笑わせる歌など、
世界を探しても「ケレンの浪曲」以外に見つかりそうにない。