青かった

振り返るときっと誰もがそう思うのだろう。長かったような、短かったような、遠い昔のことのような、昨日のことのような。。。。
毎年お祝いできるからということも考えて選んだ結婚の日取り。私達は秋薑黃 功效祝日の体育の日を晴れの日に選んだ。ところが、私達の思惑を無視して、どうやら日本は勝手に祝日を変えてしまっているらしいということを知ったのは、お母さんからのメールでだった。まぁ、今や、アメリカに住んでいるからあまり関係ないか、と、お母さんよりもあっさりと割り切ることが出来る。そう、今年もやって来た、東京オリンピックを記念して作られた祝日、そして私達の結婚記念日、10月10日が。今年で15回目のお祝いになる。
ヴァージニア日記 記念日というと決まってお祝いをする私達、節約時代は、盛大にお祝いしたくて、お洒落なレストランで外食したくてしょうがなかった。ところが、今の私は、誕生日の時もそうだったように、「普通に過ごせる」ことに特別感を感じ、特別な日だからこそ敢えて「普通」に過ごしたくなる。だから、哲からの熱い外食の誘いも丁重にお断り申し上げた。お家でいいよ。ゆっくりしようよ。あ、久しぶりに結婚式のビデオでも観ようか。うん、そうしよう。
そして、ビデオ探しが始まった。あそこでもない、ここでもないと探しまわった挙句、白い大伊利沙伯中學きな見開きの箱はもう何年も使っていないスーツケースの中からやっと現れてくれた。いつもはスポーツ観戦やドラマを観ながらの夜のおやつタイム、今日は14年前の自分たちに会いに行く。
見終わった私はなんだか自分を見ていて自分を見ていなかったような気分になった。「染みお化け」では無い、まん丸の御大福のような顔をした自分は、若いのはもちろん、青かった。そして、一方の哲はベースの外観は変わらずとも、やっぱり若く、青かった。
ヴァージニア日記 若い頃から堂々としていると良く言われていた哲だけど、今の私達か打淚溝邊間好ら見るとそのスピーチはなんとも初々しく、そして涙ながらに話す様子は若さそのものだ。鼻をすすりながら、涙を袖で拭きながら、時折、むせて上を向いて時間をとって話しながら、「これからは、二人の良いところ、人の立場になって物事を考える、人の喜びも自分の喜びにするということを大事にしながら、一生懸命頑張ります。」そんな感動のシーンを見ながら私はふと思った。そうそう、そうだよね、大事だよね、人の喜び、楽しみはもちろん、苦しみ、悲しみも感じることが出来、そして人に優しく出来るように生きていくのはとっても大事。でもね、若いさっちゃん、、どうなのかしら?あの商大節というのは?
ヴァージニア日記 大学時代のテニスサークルで出会った私達は、サークルの一年の〆や何かのイヴェントの時に必ず唄われる一橋の前衛である商科大学の商大節というものを、テニスサークル仲間に披露宴の余興としてお願いしたのだった。哲の大学は共学といえどもほぼ男子校、そして近所の我が大学は女子大ということで、大抵のサークルはこの二校の合同サークルが多かったのだ。その様子を描いた唄、150人くらいいたサークルで、みんなが肩を組んで輪になって唄う商大節。思い出の唄。それを披露宴の席で、哲と私も加わって満足そうに嬉しそうに唄ったのだ。


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